心臓ペースメーカーマンの吉川さんです(笑)
今まで病気とは無縁だった自分が突然の体調不良に襲われ、徐脈性不整脈である「高度(完全)房室ブロック」が発覚するまで2ヶ月かかりました。
そしてふと、なんで自分は2ヶ月もの間、1日に何度も心臓が止まりながらも生き延びる事が出来たのか!?という疑問が自分の中にあったので、今回は自分自身の事ですが真剣に考えてみます。
病院へ走り回った
2016年10月から突然の目眩や動悸に襲われてから、自分は休みのたびにありとあらゆる病院に行きまくりました。
激しい目眩もあったので耳鼻科から始まり、内科・整形・神経内科・循環器科と様々な病院・専門の科を走り回りましたが、最後の大きな病院の循環器科にたどり着くまでは検査で何一つ異常は見つかりませんでした。
どんなに症状を伝えても、まるで自分の訴えを一蹴するかのように「検査で異常は出てないから」と言われる事がほとんどで、“数値に異常が見つからない=健康“という判断にかなりイライラしたのを覚えています。
それでも“絶対に何か身体がおかしい…”という実感があったので、真実を突き止めたいという執念もあり、色々な病院を受診する日々が続きました。
ちなみに病院以外にも、少しでも動悸や目眩を軽減したくて、鍼灸や整体などの治療院にも通っていました(´△`)
趣味を楽しんだ
ゲーム、アニメ鑑賞、自転車(ロードバイク)など、ありとあらゆる趣味を楽しみました。
家庭用のゲームやアニメ鑑賞はその場で横になりながら過ごしているので、比較的落ち着いていられたのですが、自転車や趣味の音ゲーに関しては今になって思えば本当に危険でしたね(´△`)
だって時折心臓が止まりながらドラムマニアで遊んでたりロードバイクで走ってたワケでしょ?もし自分がその原因が分かってたら絶対に激しい動作は控えてます(笑)
まあ逆にそういった趣味へのモチベーションが高かったからこそ、生きることへの活力になってたのも事実なので、そこは自身の趣味に感謝している部分です。
本気で生きたいと思った
三十数年しか生きていませんが、この時期ほど本気で“生きたい”と思ったことはありません。
何となく「自分このままだと絶対に死ぬ」という直感があったのでそう思うのでしょう。
上記内容とも重なりますが、まだまだ色んな事をやりたいし、もっと人生楽しみたい。
「死んでる場合じゃねえ」
この時も目眩や動悸は以前にも増して強くなり、立っている事も容易ではない状態にまでなっていましたが、それでも生きることだけは絶対に諦めませんでした。
よく「気持ちの強いヤツが最後に勝つ」と言われますが、まさに“生きたい”という気持ちが結果的に自分を2ヶ月もの間生かしてくれていたのではないかと思っています。
根性論かよwwwって思うかもしれませんが、今回の件で満更でもないなーと思ったり^^
自分の事を1番知っているのは自分自身
このブログでも何度も書いていますが、結局のところ自分の事を1番知っているのは、他の誰でもない自分自身です。
休みのたびに病院に通っていたり、わずか数分しか起き上がって動けない、仕事にならない、それでいて病院の検査では何も異常が見つからないとなると、家族や周囲の人からの不満は凄まじいものでした。
- 体調管理がなってない
- 病弱
- 気にしすぎ
- etc…
まあ実際に異常が見つからなければ、単なるだらしない怠け者のレッテルを貼られるのも致し方ないですが、何より周囲にこの体調不良を理解してもらいたいけど理解されないもどかしさは、精神的にも相当ツラいものがありました。。
だからこそ自分は言いたい。
- 自分のことを1番よく知ってるのは自分自身だ
- 周囲が何を言ってきても気にするな
- 生きることを絶対に諦めるな!
おしまい!
異常が見つからなかった期間は、そうとう、つらかったでしょうね。そういう意味で、精神的な強さが半端ないと思います。自分の場合には、立ち上がってのめまい等あったのに、真剣にとらえて、病院に行ったりしてなかったな、と、この記事読んで反省してます。ただ、失神する一か月前の健康診断で、異常無し、でしたから、同じように、原因不明で、フラフラしていただけになつてたかも。
今なら、誰かが、「静かにしてたり、単調な高速道路の運転中だったり、暗くなったりしたときに、異常な眠気を感じる」といえば、即、心臓を見てもらいなさい、っていいますけどね。
病院を転々といえば、帯状疱疹の時を思い出しました。ブツブツができるのが、遅く、痛みがでてから、歯医者、耳鼻科と回って、異常なし。ブツブツができて、初めて救急で、認定いただきました。後で聞いたら、皮膚科に行ってたら、すぐにわかったのに・・・・と。思いつきませんよね。