2020年11月22日、母親方のばぁちゃんが亡くなった。
この一週間は葬式など様々なことでバタバタしてたから、ハッキリ言ってばぁちゃんが死んだっていう実感がなかった。
でも徐々に日常に戻るにつれて、ひしひしと現実味をおびてきてる。
いつもと変わらない日常。変わったのはばぁちゃんが居ないことだけ。
後悔は最小限
めっちゃ悲しいよ、、涙もめっちゃでたよ。。でもこの時のために秋田県に来たワケだしずっと一緒にいれたしお手伝いもできたから。後悔は最小限。
— 吉川さん@心臓の人 (@yoshikawa_sun) November 22, 2020
こうやって文章にするとなんだかあっさりしてる。ばあちゃんが亡くなって悲しいのは確かなんだけど、不思議と後悔はそこまで感じないんだよね。ツイッターで呟いたとおりまさに「最小限の後悔」
っていうのも、この2年半は自分が千葉県から秋田県に移り住んで、ばぁちゃんとじぃちゃんのそばにいれたから、“やれる事はやった”っていう気持ちが強い。
その時から「後になってもっと○○しておけば良かった」って後悔をしたくなかったから、思い切って秋田に来て良かったと思ってる。
大なり小なり、何をどうやっても後悔の念は付き纏う。
だからこそその時になって「ここまでやったんだから仕方ない」って思える思考や行動はマジで大切。
誰しもが大切な人と一緒に居れるわけじゃない中で、お別れの時まで近くに居れた事はホント自分は幸せ者だと思う。
なあばぁちゃん、少しはオレも孫孝行できたかな?
結局、心臓のペースメーカーの事は打ち明けられなかったけど、余計な心配させたくなかったからこれはコレで良かったんだと思う。
でもまあ、いつも”居るのが当たり前”だったからこそ、居なくなって本当に寂しい。。
だけどこんな事ばかり言ってるとばぁちゃんが安心してあっちに行けないと思うから、胸を張って送り出してあげようと思う。
本当にお疲れ様。
ばあちゃんの記憶力の良さ、大きな怪我や病気をしても不死鳥のように蘇る頑丈な(しぶとい)身体。見事に孫が受け継いだよ。
まずはゆっくり休んでね。
あばよ、ばぁちゃん。
ありがとう!!
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