「しょうがい」の表記変更は誰の目線での話なのか

この記事は個人的な意見によるものです。特定の個人や団体・組織を批判する意図では無いことを予め前置きとして申し上げておきます

補足
2022年6月25日 一部内容追加

 

2019年2月5日、これまた興味深いというか何とも考えさせられるニュースがありました

 

 

何でも兵庫県宝塚市は同年4月より、障害者政策に関する公文書に「障碍」の表記を使用する方針を決めたそうです

 

一般的に法律や公文書で使う漢字は、常用漢字表が基準となっている。宝塚市もこれまで条例の条文では常用漢字表にある「害」を使用してきた。一方で「この文字は障害のある人に問題があるかのような否定的なイメージがある」として、市のホームページや広報資料では「障がい」と平仮名書きにして使い分けてきた。(同記事より引用)

 

今回はこの内容に関して当事者である自身が思う事についてお話しようかと思います

なお今回に関しては「障害・障碍」等の表記をあえて「しょうがい」と表記してありますので何卒ご了承ください

 

心底どうでもいいわ!

まずね、当事者として率直な感想としてはマジで表記とかどうでもいいです(´△`)

 

現在は「しょうがい」に関しての表記は

  • 障害
  • 障がい
  • 障碍

の3つの表記が入り交じってますが、ハッキリ言わせてもらうと…

 

激しくどうでもいいわ!

 

例えるなら単純に「コーヒーうめぇ」って話してるのに「このコーヒーは○○産のコーヒー豆を使用していて芳醇な香りが云々…」とかいきなり語りだしちゃう奴くらいどうでもいい

 

んで、後でも書きますがそんな表記の事で一々議論や変更する前にもっとやる事があるでしょ!

 

どの目線の誰のための話なのか?

こういった話題が出る度に思うのが、一体これは「どの目線の誰のための話なのか」と毎回思う…(´△`)

 

障害の「害」の字が障害のある人に問題があるかのような否定的なイメージがある?

 

オレは心臓に「しょうがい」を負っているけど別に「障害」だろうが「障碍」だろうがどんな表記でも構わないと思ってる

 

そんな表記一つでオレの他者からの見方が変わるけでもないし、オレはあくまでもオレなんだわ

 

まあオレ以外の当事者達大勢が「マイナスなイメージや差別を助長するから表記を変えろー!」って言ってるなら、百万歩譲って分からなくもない(オレには分からないけど)

 

ただ、当事者を蚊帳の外に、全く関係のない人達がこの話を進めてるのであれば、これって相当ヤバいと思うし、「しょうがいを持つ人達の為を思って」と言ってるのであれば、思い上がりも甚だしい、一体誰の目線から物事を言っているのか。。

 

 表記の変更よりも優先すべき事があるでしょ

そうは言っても、実際に「しょうがい」を持つ人の中には社会の支援やサポートを受けないと生活、しいては生きることが難しい人達もいるわけですよ

 

だったら表記よりも先にまず優先すべき事があるんじゃないですか

 

ここ数年で周知されてきた「ヘルプマーク」にしても現状まだまだ世間に浸透しているとは言えない状況だし、自分のように内部障害と言われてる人達だってパッと見ればどこが病気なんだと言われます

 

ヘルプマーク 知っていますか?

2018年11月13日

 

当事者からすれば「障害」でも「障碍」でも何でもいいですよ、その人達の「生きづらさ」を少しでも解消する事が、表記を変更する以前に優先すべき事なんじゃないでしょうか

 

最後に

色々な意見はあるかもしれないけど、オレは「障害」の表記でも一向に構わないと思ってる

上記でも書きましたが、表記が変わったところで他者からの自分に対しての見方が変わるとも思いませんし、そもそもオレはオレなんで(^_^;)

 

それであれば、もっと「障害」に関しての世の中への周知、個人レベルでの当事者の「生きづらさ」に視点を当てることの方が重要なんじゃないかと思う今日この頃です

 

ちなみに、中島隆信著書の「障害者の経済学」を読むと今の社会を取り巻く「しょうがい」へ対しての問題点などが詳しく書いてありますよ

 

補足

おしまい!

 

記事への意見・感想などお待ちしております